小 枝 橋

 

慶応4年(明治元年)(戊辰) 正月三日夕刻

鳥羽街道を北上し、入京しようとした大目付 滝川播磨守具挙ひきいる幕府軍1万5千と

これを阻止しようとする薩長軍(薩5千、長2千5百)が小枝橋で衝突した。

ここは、城南宮参道とT字路になっており、東西に散開した薩長軍に

北上した幕府軍がぶつかった。

「とおせ」 「とおさぬ」 の押し問答のすえ、

薩軍の放った一発の砲丸が、幕府軍の砲車に命中し

猛烈な破裂音がひきがねとなって

鳥羽戦争の火蓋が切られた。

この砲声で、伏見でも戦火がきられた。

鳥羽伏見の戦いが戊辰戦争へと発展した。

 

小枝橋は名神高速道路の京都インターチェンジ近くで

鳥羽街道が鴨川をわたる橋である。

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