歴史小説や史実を読むと、元号や干支が出てきます。
これらを理解できないと興味も半減します。
わが国では、大化の改新以後、元号が制定され使われてきました。
何か大きな出来事のあったときに改元され、新しい元号が使われました。
明治からは、天皇の御世、一世一元号の元号法が制定され、
改元されるようになりました。
また、中国、韓国にならって十干、十二支による、年の表現も用いています。
いわゆる、干支で十干と十二支を組み合わせて、
甲子から癸亥まで60組の漢字2文字からなる年をつくります。
61年目には元の干支にもどります。
60歳を還暦と呼ぶのもここからきています。
明治維新は明治元年(慶応4年)戊辰年で、鳥羽伏見戦争から
函館戦争を戊辰戦争といいます。この他、壬申の乱、とか辛亥革命と
十干、十二支による呼び名のおかげで事件等の年がわかります。
1924年(大正13年)は甲子(きのえ ね)の年で、
このとき完成した野球場を甲子園と名づけています。
鈴木大蔵は伊東家の養子となり、伊東大蔵と名乗りましたが、元治元年
(1864)甲子の年に入京し新撰組に入隊しました。この年にちなんで
甲子太郎(かしたろう)と名をかえました。
甲子は、干支の最初の年で、伊東は心機一転、
尊王譲夷に活躍するつもりであったのでしょう。
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