木津川 流れ橋   平成17年夏  Y.N

 

夏休みに耐暑訓練をかねて100kmサイクリングに

挑戦しました。

昨年は、お盆に京都をめざしましたが、あまりの暑さに長岡京で

ギブアップしましたので、今年は必ず100km走ろうと

意気込んでの挑戦なんです。

今から考えるとずいぶん無謀なことをしたものだと反省しています。

 

私には、親戚によく当たると言われている占い師がいまして、

子供のころ、若死にするから事故には充分注意するように言われました。

右の手、左手ともに生命線が短く、

その上、他の線にズタズタに切られているのです。

 

信じてはいませんでしたが、やはり気になり

「短い命なら、好きなことして、太く短く生きてやろう」 と決め

思うが侭に、その日の悔いを残さず生きてきました。

なにしろ、「明日は無いかもしれない。」 人生ですから。

 

思い起こせば、私には小さいころからいろんなことが起こりました。

疎開先の父の田舎で誕生し、10日目に戦災に合い、

家は全焼したようです。

母は、私を背中に背負って、上から布団をかぶり

火のなかを逃げまわったそうです。

 

ようやく空襲も収まって、背中をみたら子供がいない

これにはおどろいたようです。

みんなで探し回ったら、田んぼのなかに落ちていて

元気だったようです。

見つからなっかたらいまごろ、どーなっていたんでしょう。

 

その後は、病気は風引きぐらいで、健康なのですが怪我が絶えず、

古傷はいっぱい持っています。

幽体離脱(魂が肉体から離れ、自分の死体を眺めている。)も

経験しましたし、お花畑を白い着物を着た人(女性)

に手を引かれ、とぼとぼと歩いたことも記憶に残っています。

 

事故に合い、九死に一生を得て、

自分では、「もう何回も死んだ。」

「俺は不死身だ。」 と自身過剰なのが欠点なんです。

 

気温30℃、曇天で湿度は80%ぐらいです。

箕面から西国街道を東に走り、

小野原を右に曲がって、名神の茨木インターを越え、

枚方大橋に向かいました。

目指すのは、京都南部の木津川サイクルロードです。

 

 

ヒラパー(枚方パーク)を右に見て長尾に向かっています。

曇りで日射は強くないものの気温が高く、

いつもの西国街道と違って車の量が多くて

排気ガスと熱気で頭はボーとしています。

そんな中、上り坂も訓練との意気込みで

ギアーを落として上りきりました。

 

水は1リットル持ってきたから十分です。

途中で、雨が降り出し、気温が下がると

期待しましたが、相変わらず高く、路面からの

水蒸気で、ものすごい蒸し暑さです。

 

長尾で道に迷い、ロスしましたが、何とか

京田辺にたどり着き、木津川サイクルロードに乗りました。

シャツは、びっしょりでランニングシャツに

着替えました。

水は1リットルもあったのにもう底をついています。

 

木津川の左岸の土手を嵐山方面に向かっています。

流れ橋に来ました。ここが当初の目的地です。

流れ橋は、時代劇の撮影によく使われ、

一度、訪ねてみたかったところです。

 

 

ここで、京都在住のニュージーランド人のサイクリストに逢い、

サイクル談義に花を咲かせました。

私も、若いころニュージーランドへは十数回訪れたことがあり

話題に事欠きません。

彼は、このサイクルロードが気に入っており、しょっちゅう来ている

ようです。またの、再会を約して別れました。

 

流れ橋は木製の大きな橋で、洪水時8分割して

わざと流し、収まればロープを引っ張って

元の橋に戻す。というユニークな発想の橋です。

 

 

対岸まで渡って、川原に降り立ちました。

ここで、半ズボン、シャツを脱ぎ去り、

パンツ1丁になって飛び込みました。

 

水深は浅く、ひざぐらいしかありません。

しかし、流れが速く、川底に両手をついて押さえていないと

流されてしまいます。

童心にかえって、水遊びを楽しみました。

川原には3グループ、15人ぐらいの男女が楽しんでいます。

 

 

川から上がって、体を乾かしながら、

友達にこの状況をメールにして流しました。

のどが渇いていたけれど、川の水は飲みたくありません。

コンビニ探しに走り出し、

500mLのスポーツ飲料を買って

一気に半分ほど飲み干しました。

この辺から記憶があいまいで、思い出せないのです。

 

気が付いたら転倒して、右手、右顔面、両膝をすりむいており、

胸も打ったようです。

軽い脳震盪をおこしたようで、何をしているのか理解できず、

考え込んでしまいました。

 

腕時計はベルトがちぎれ、ガラスが割れて、

1626分で止まっています。

走り出しながら、

「俺は何をしているのか?」

「何処に行くのか?」

 

その内、だんだん思い出してきましたが、

不思議なもので、直近の記憶から順番に思い出してくるのです。

「コンビニで水を買って、半分飲んだ。」

「川原で友達人にメールを流した。」

「川遊びした。」

「NZ人と自転車の話をした。」

・・・・

「夏休みで遠出した。」

順番に、朝起きたときのことまで思い出しました。

なぜか、転倒する直前だけ、いまだに思い出せません。

熱中症にかかっていたものと思います。

 

また、コンビニで500mL調達し、別に水も1リットル

チャージしました。帽子を脱いで、後頭部に水をかけながら

走りました。すりむいた右手はしびれていましたが、

それをカバーするためか、前回転倒したときの怪我、不自由だった

左手の親指が自由に使えるのです。

長いこと悩ませてくれた違和感もありません。

 

かえったら、「どういい分けしよう?」

「別に、悪いことしたわけでなく、事故だから 」

「今日は、夏休みで、息子が帰ってきているはず」

「息子にも笑われるだろうし、息子の前で怒られるのもいやだナー」

 

「それにしても、この俺は、ほんとの俺なのか?」

「ひょっとして、ほんとの俺は、転倒したまま死んでいて」

「魂だけが一生懸命に家に帰ろうとしているのでは?」

 

映画 「ゴースト」 のごとく、家にたどり着いても

誰も気づいてくれず

一人さみしく、さまよい廻るのでは?

そんなことを考えながら疲れた体に鞭打って走りました。

 

3時間かかって家まで何とかたどり着き

家に上がって、傷の手当てをしてもらい(家内は元看護婦なんです)

シャワーを浴び、汚れを流し落しました。

それから、夕食です。

息子はあきれ返っていました。

 

息子に手を焼いて 「えらい息子を持ったものだ」

と嘆いたこともありましたが

今は、息子の方から 「えらい父親を持ったものだ」

と嘆かれています。

(注、「えらい」 とは関西弁では 「大変な」とか「面倒な」という意味で

決して「立派な」とか「すぐれた」、「賢い」

という意味ではありません。

「え」にアクセントを置き

「らい」で語尾を下げて発音します。)

 

いつものように、焼酎の水割りでおそい夕食をとり、

ソファーにごろりとなって焼酎のつづきを飲んでいました。

クーラがかかっており、快適な状況だったのですが

急に寒く感じ、体がぶるぶる震えます。

 

布団を敷いてもらい、冬布団に包まっていましたが

まだ、寒いんです。顔は真っ赤になっていたようです。

「ああ、これでもうだめか、まだ、思い残すことがたくさんあるのに。」

30分ほど寝ていたら、今度は暑苦しくなって、

冬布団を跳ね除け、そのまま眠ってしまいました。

 

熱中症にかかって、自律神経失調になり、

そこに焼酎の酔いが重なって、

体温の調整ができなくなったものと思います。

 

翌朝は、体中のあちこちが痛く、おとなしくしていましたが、

胸を打った痛み以外は、達成感、充実感というか、気持ちのよい痛みです。

 

サイクリング用のヘルメットは 「鉄人28号」 になったようで、

きらいなんです。もっぱら、キャップ(野球帽)を愛用していますが、

今回ばかりは、真剣にヘルメットを買おうと思っています。

できたらフルフェイスがいいな

それに、暑くてもグラブをし、膝と肘のプロテクタもしよう。

と考えています。

 

まだまだ、懲りずにいます。

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