ぼ ん く ら    平成17年8月   Y.N

 

先日、K子さんからメールをいただきました。

池高時代に私のことを 「ぼんくら」 と呼んでいたそうです。

名字のゴロ合せから来たのかと思いましたが、

やはり、風貌、行動からそう見えたのだと理解しています。

 

中学は、大阪市内の T中学 に入学しました。

担任の先生は、 I 先生といって、奈良女子大を出たばかりの

若くて、綺麗な方でした。とても気の強い面もお持ちでした。

また、大変おしゃれで、毎日違う服装でこられ、みんなを楽しませて

くれました。

 

先生は、フレンドリーで、昼食時には教室でみんなと一緒に

雑談しながらお弁当を食べられるし、授業終了後はみんなと一緒に

教室の掃除をしてくれます。他のクラスからはうらやまれていました。

 

掃除のとき、窓を拭いておられると、光の関係で、服が透けて見え

先生の反対側を掃除するかっこうをして見とれていました。

授業中は、黒板に向かって数式を書き、説明をされます。

当然、みんなにお尻を向けてです。タイトスカートのときなど、たまりません。

私は、問題児だったのか、常に最前列の中央に座らされていましたので、

このときばかりは、特等席の優越感にひたっていました。

 

「 ○○○君は、先生のお尻ばかり見ていて授業を聞いていない。」

と余計な告げ口をする子がいて、ある日、先生が不意に振り向き

「ボー」と見とれている私に、「ぼんくら」 と叫んだのです。

 

おかげで、クラス中、また、他からも私は、「○○○ ぼんくら」

と呼ばれるはめに合いました。

これには、切れました。

先生に 「ぼんくら と呼ぶな!」 と抗議しましたが

「おまえが、ボーとしているから、ぼんくら と呼んでどこが悪い。」

とかけあってくれません。

 

「ぼんくら」 と言われるのを聞きつけては、男、女かまわず殴りまわりました。

T中学は、当時すたれていました。ジャックナイフや菜切り包丁を隠しもってる生徒がおり、

そうとう怖い思いもしました。ナイフで服が切られることもたびたびです。

怪我も絶えません。

その内、誰も私のことを 「ぼんくら」 と呼ばなくなりましたが、

みんな私を避けるようになったのです。

 

先生だけは依然と 「ぼんくら」 と呼びます。

廊下で後ろからスカートをまっくたり、石を投げて対抗しました。

先生からは反撃され、出席簿やスリッパでおもいっきりたたかれ、鼻血を出したこともあります。

このときばかりは、先生もビックリしたのか、綺麗な又、いい匂いのするハンカチで拭いてくれました。

母親は、しょっちゅう呼び出され、父に 「小娘みたいな先生にしかられた。」 と愚痴っていました。

 

2年生になって、先生と離れられると期待していましたが、どの先生も私を

引き取ることを拒み、結局また、I 先生のクラスになったのです。

相変わらず先生からは、「ぼんくら」 と呼ばれましたが、

そのうち、快く受け入れるようになっていったのです。

 

家を引っ越すこととなり、 I 先生と別れるときがきました。

多感な少年にも先生と別れるつらさがひしひしと感じられました。

「転校したら、心機一転、勉強をがんばるのよ ぼんくら さん!」

はじめて 「さん」 付けで呼んでくれたのです。

 

これで、私の 「ぼんくら」 は封印されました。

 

池高に入って、2年生のとき、

「○○○君のこと、女性陣が ぼんくら と言ってる。」

と教えてくれる人がいましたが、

「俺のことが、話題になることもあるんだ」

ぐらいの感覚でした。

 

このたび、K子さんからのメールを見て

封印が解けた。」 と思いました。

 

私は、 「ボー」 と考え事していることが多く

いまだに 「ぼんくら」 しています。

 

憎しみをこめて「ぼんくら」 と呼ばれるのは困りますが、

愛情をもって「ぼんくら」 といわれるのは歓迎です。

 

私の周辺にいる人は、

私、独特の世界に引きずり込まれ感化されています。

これを 「○○○ ワールド」 と呼んでいましたが、

今後、「ぼんくら ワールド」 と呼ぶことにします。

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